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「母と姉と爆心地下900メートルの加古町で被爆した。一旦宮島に避難したが、そこでは危ないと言われ安芸太田町へ逃げた。死に目に合わせないという親戚の考えで、部屋の外に出された。お母ちゃんと呼ぶと、くにちゃんと返事していたが、お母ちゃん、お母ちゃん、お母ちゃんといくら叫んでも返事がなくなった。その頃亡くなったんだと思う。死に目にも合わず、葬式にも出席しなかった。9月4日と5日の事だった。その前に父は沖縄で戦死していた。」
飯田國彦
絵・今田颯之介
「被爆された人たちが江波の方へ逃れて行くのを家の前で見た。これだけの怪我をした人が泣きもしないで黙って逃げていく様子を思い出すだけでも胸が苦しくなる。その中で、この親子だけが普通の格好をしていた。それがとても印象に残っている。」
石橋紀久子
絵・中原 雅
父親を捜し歩き落胆した母親と、号泣する家族
翌日、父を探して歩き回った後、祖母に報告しているところ。
「ヤスイチは、この世にもうおらんのじゃいのう」という祖母の言葉に、3日間ものが言えなかった私と妹は、わんわん泣いた。この赤土が落ちて竹組の間から太陽の光が入ってくるのがその時と同じ。この絵を見ると、あの5歳の時の光景が浮かび、悲しい。」
石橋紀久子
絵・宮浦 悠
「下駄を脱がなくてもいいよ」
被爆時は4歳だった。家の前の道路で三輪車で遊んでいたら爆風で吹き飛ばされた。気を失って、泣きながら帰った時に、母が玄関口で迎えてくれて、非常に安堵感を感じた。家に上がる時に「下駄を脱がんでいいよ。早くこちらへ」と言った。
かじたにともか
「爆心地から3キロ離れた西区のタカスというところで被爆。その方に多くの被爆者が
家が広かった関係で、幾人が休ませてあけていた。その方々から次から次へと亡くなられていく。夏の暑い時だから、一晩置いただけで腐敗が始まりいやな臭いがした。近くの空き地で10人くらいを石油をかけて。ゴミの焼却のようにすら感じた。
「親を原爆で亡くした。親は亡くなるし家は傾くし。100坪土壁が落ちた。」
笠岡貞恵
いさお
7歳の時、安佐北区の山の中で被爆。黒い雨ムショウという草を取って茹でて陸軍被覆へ持っていくんだと言っていた。
持田杏樹
閃光
瀧口ひでたか
飛行機の音がして
玄関に入って引き戸の戸を閉めようかなと思った時に光った。
山道
母は熱線を浴びた時に
着ていたブラウスが燃えていたので脱いだ。
痛むひび割れ
なぜか手首
冬になると
つづく。少しずつ進めさせていただきます。