クロード・ドビュッシー(Claude Debussy)の「ゴリウォーグのケークウォーク」(Golliwogg’s Cakewalk)は、ピアノ組曲『子供の領分』(Children’s Corner)の第6曲目です。この組曲は、1908年に作曲され、ドビュッシーの娘シュシュ(本名:クロード=エンマ)に捧げられた。
https://flote.info/993/ドビュッシーの「ゴリウォーグのケークウォーク/
2020年末に弾いてみた。
ドビュッシー本人が弾いた録音
私は1995年頃の小6当時、やめたいのにやめさせてもらえないクラシックピアノのお稽古で、この曲をピアノの先生に言われ、弾かされていたのであるが、曲名の意味がそもそもわからなかった。「ゴリ…?ケーキ...? Huh?」である。
先生に聞いても、先生もわからない。楽譜にも詳しい説明はない。しかし、「ここはフォルテで、もっとクレッシェンドで、ここはピアニッシモで」などと演奏方法は毎週徹底的に指導された。毎日練習もさせられた。「一体全体、ワタシは、何を弾いているのだ」と、ふとワタシは思った。
時は流れ2020年、Black Lives Matter ムーヴメントの折、ふとこの曲のことを思い出した。それで、その時に徹底的に調べた。それをここに再度メモ書きする。
Golliwoggとは
フローレンス・ケイト・アプトン(Florence Kate Upton(1873-1922))が創作したもので、児童書シリーズ。ゴリウォーグは、いたずら好きで愛らしい黒人人形として描かれており、当時のヨーロッパとアメリカで広く知られていました 。「ゴリウォーグの冒険」シリーズは好評で、13編の作品が作られることになりました。
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cakewalk とは
3つの異なる説明がある。個人的には、①は、音楽の友社刊。クラシック音楽業界が絡んでいるので、本当のことを書きたくないのだろうから、②と③が真実のような気がする。
①『標準音楽辞典 ア-テ 新訂第2版』599p
「ケークウォーク cakewalk〔英〕 19世紀にアメリカ合衆国の黒人のあいだに起こった舞踏。黒人奴隷が白人の主人の習慣をパロディ化したのがはじまりと思われる。特定のステップはなく、男女が組になり、腕を組んで気どって歩いたり、観衆にあいさつしたり、足を蹴り上げたりする。1980年代にミンストレル・ショーやヴォードヴィルでとりあげられて広まった。ラグタイムのようなシンコペーションをきかせた音楽で踊られた。のちに社交ダンスで世界的に流行した」
ヴォードヴィル (vaudeville) は、17世紀末にフランスで始まった、歌、対話、劇、舞踊などを組み合わせて演じる喜劇の一種。特にアメリカでは、舞台での踊り、歌、手品、漫才などを含むショービジネスを指すことがあります。 (AI)
1898年頃。(動物サーカス反対)
1935頃
②『黒人リズム感の秘密 改訂版』23p
「19世紀に入るとケーキウォークというダンスが盛んになってくる。これはコンペティションダンスの一種である。白人の農園主達によって開催されたこのダンス大会で黒人ダンサー達は賞品のケーキを目指してダンスの技を競い合うわけだ。といっても現在のダンスコンテストのように彼らが自由参加出来たわけではなく、農園主達が自分の奴隷の中からダンスの上手い者を選抜して競い合わせた、いわば闘犬や競馬のようなものであった。主人の仕草や恰好をおもしろおかしく即興ダンスで表現するというダンスの競技会である。(略)その後、次第に黒人のダンスは白人にも影響を及ぼしていき、ミンストレルショー(黒人のマネをした白人のエンターテイメントショー)が盛んになっていく。(略)」③『熱心なダンサーへ贈る読むダンス用語集』p54
「ケーキ・ウォーク(cake walk) 1850年頃アメリカ南部の大農園で「チョーク・ライン・ウォーク」と知られていた踊りが1895-1905年にケーキ・ウォークとして流行。のけぞる等の特殊な動きはフロリダのアフリカ系アメリカ人奴隷、セミノール族インディアンのカップルが厳かに歩く姿からアイデアを得ました。もっとも上手にできたものには賞としてケーキが与えられました。」
↑上記ような文で、「それでも夜は明ける(2013)」のこのシーンを思い出した。
原作は1853年発表の、1841年にワシントンD.C.で誘拐され奴隷として売られた自由黒人ソロモン・ノーサップによる奴隷体験記"Twelve Years a Slave"である。彼は解放されるまで12年間ルイジアナ州のプランテーションで働いていた。
「テレビもない時代、白人農園主たちは、暇つぶしに黒人奴隷をコミカルに踊らせ、それを見て笑って楽しんでいた。その名残を何十年も、しばらく引きずった。ミンストレル・ショーという差別的な形で残った。今も様々な形で黒人差別は残っており、欧米社会は改革に直面している。」ワタシはこのように説明できる人間でありたい。
ミンストレル・ショー(1951) 「だらしなくて頭悪くて、でもダンスや音楽は上手くて愉快な黒人の真似」として、白人が黒塗りしている。
カラーの時代になっても、そういうものはまかり通っていた。1968。
1975年。
子どもにも、楽曲の文化背景や、きちんとした説明が、わかりやすくできる大人でありたい。そんな風に思って私は調べた。
楽譜を売るためには、楽曲のイメージダウンにならないためには、もし自分がクラシックピアノの出版社等に勤めているなら、事実と異なる説明をするのが懸命であろう。それはまるで、告発された旧ジャニーズエンターテイメントの初期の白ばっくれた面々を思い出した。
私は、子供にただピアノを弾かせることで、無自覚に、いつの間にか人種差別主義者の側に回すことに、強い疑問を感じる。よって、この記事を書いた。
おまけ