Gは、こわい。札幌はGが出ない。(飲食店は知らないが。)本当に、心底、まじでほっとする。道民は、Gをそもそも見たことがない人間がほとんどである。あの恐怖を知らないというのは、単純に幸せである。
そんなほがらか道産子娘だったワタシも19にして、奴らの恐ろしさに苛まれることとなる。
上京して2年目、初めての一人暮らしで住んだ築15年の5畳間の畳のアパートが、Gの館だった。
↑先日20年ぶりに訪れたアパート「T」ハイツ
1階は飲食店じゃない、そんなに古くない。なぜそんなに出たのかよくわからなかった、当時は。その時は思いもよらなかったが、おそらく、エアコンのドレンのホースから室内に入ってきていたのではないかと、今にしては思う。当時の北海道にはエアコンがない家が多かった。今は温暖化で暑くなったが、2002年くらいは、猛暑日でも30度くらいだった。涼しいので要らなかったのである。当時の道民はそもそもエアコンなるものをあまりよく知らないし、その部屋はベランダがなかったので、ドレンのホースの存在なんて、全く気付けなかったのだ。
出典・https://airpika.jp/contents/?p=110
↑これは、虫の侵入を防がねばならないものである。今後上京を考えている、エアコンもGも知らぬいたいけな道産子たちに、僭越ながら、本編を以てご教授させていただく。
Gは強い。脚も頭の回転も速い。触覚で音も光も、全てを敏感に察知する。飛ぶ。侵入する。野菜クズなどをめざとく見つけて食べ、水を飲む。逃げる、隠れる、繁殖する。Gは一大脅威なのだ。
以下、Gの具体的な思い出を話す。Gのトラウマがある方は、フラッシュバックに注意して、黄色い3行を読み飛ばしてください。
ある日、畳の上に布団を敷いて寝ているとポトリと小さな音がした。ポトリ?と思ってを目を開けると、枕の横の畳の上を(以下略
その日はワタシは部屋に戻れず、近場のファミレス「ジョナサン」で、不安な一夜を過ごした。
戦慄したワタシは、その日、生まれて初めてバルサンなる化学兵器を手にし、豪胆にもこれを自室で焚きしめるに至った。水を入れるとシューと煙が出てくる。「ほう、これが噂のバルサン。」とて、それをほんの5、6秒まぬけに見学していたのだが、たちまちに猛烈な吐き気がして、秒で戻しそうになり、慌てて部屋を飛び出し、しばらく道端でボェェ、ボエェェェと、何度もえずいているところを、通りかかったバイト先のスペイン料理屋の店長に見られた。
店「何してんの」
ワ「ボぇ、バルサンを焚くのを見てて…」
店「何してんの」
何をしているのかって?ワタシにだってわからない。客観的に言うと、ワタシはGと自滅する寸前の蝦夷の若者であった。
なんたる大量殺戮兵器。ワタシは己のしたことの残酷さをまざまざと感じ、ホロコーストとヒロシマを脳裏によぎらせつつ、あまり親しくない友人宅に強引に押し掛け、その日は眠れない夜を過ごした。
赤い殺人鬼↓
バルサンは、しばらくは効果を発揮したが、しばらくすると、Gらは、また顔を出すようになり、ワタシはノイローゼ気味に陥った。
キッチンの下の扉を開け、どこに穴が開いているんだと睨みつけ、換気扇をふさぎ、排水溝をふさぎなどしたが、それでも奴らは侵入し続けた。とある日なんかは、玄関のドアから入ってこようとしたGがおり、「出て行って!!」と叫んだこともあった、虫に。完全にどうかしていた。そのGは慌てて踵を返して出て行った。その時ばかりはワタシはジュリーよろしく勝利した。(わからない人は「沢田研二 勝手にしやがれ」で検索)
なぜ、ワタシはこんなGの館で孤軍奮闘しているのか。朗らかな、Gなんかみんな知らない北海道を出て、防音室もピアノもあり、かわいい猫が二匹もいる実家を出て、薄い壁の狭いアパートに、月48,000円も払って。多少疎ましい両親がいたとしても、こんなことより、はるかにマシではないか。私は一体、何をやっているのか、この東京砂漠で。
そんな苦しい日々を送るうちに、私はだんだんと、生気を失っていった。今も黒い小さな影を見るとビクッとして、ヴぇぅ、などと呻く。トラウマである。それが、Gの威力である。
ちなみに先日、久々に町田に行ったらそのアパートはまだあった。その後、いったい何人に「Gとワタシの苦い思い出」をあの部屋はもたらしてきたのだろう。今日も、もたらしているのだろうか。
雨のそぼ降る中、そんなことを考えた。