以下、wikipediaより。
「1779年2月14日に、ケアラケクア湾でクックらのカッターボートを村人が盗むという事件が起きた。タヒチや他の島々でも盗難はよくあったことで、盗品の返還交渉は人質を取ればたいてい解決した。実際、クックは先住民の長を人質に取ろうとしたのだが、不安定な精神状態のためか、盗品の引き取りのために下船した際、浜辺に集まった群衆と小ぜり合いが起きてしまった。塵一つに至るまですべて返還せよ、という冷淡なクックの態度に先住民らは怒り、また、長の1人がクックらの捜索隊に殺されたという噂に動揺した結果、槍と投石でクックらを攻撃し始めた。クックらも村人に向けて発砲し、騒ぎの中、退却を余儀なくされた。小舟に乗り込もうと背中を向けたクックは頭を殴られ、波打ち際に転倒したところ首を刺し殺された。クックらの死体は先住民に持ち去られてしまった。
現地の宗教上の理由で奇妙な崇敬を受けていたクックの遺体は、先住民の長と年長者により保持され肉が骨から削ぎ取られ焼かれた。しかし、乗組員らの懇願によって、遺体の一部だけが最後に返還され、クックは海軍による正式な水葬を受けた。チャールズ・クラーク、そしてクラークの死後はジョン・ゴアが探険を引き継ぎ、更にベーリング海峡の通過が試みられたが、これも季節外れで失敗した。レゾリューション号とディスカバリー号が英国へ帰国したのは1780年8月のことであった。」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・クック
というわけで、2月14日は、ハワイの現地人が征服者クックにに勝利したことを祝う日とすれば良いだろう、 勇気ある者は。
ワタシは今後、バレンタインデーは植民地主義に反対して、温泉まんじゅうかカリントウ等の和菓子を贈る日とする。いずれにせよ茶色いお菓子である。
ちょっとネタが遅くてすいません。
さよなら人種差別と児童虐待。
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